ガリレオはなぜホロスコープを作っていた? 「近代科学の父」と占星術

「ガリレオ・ガリレイ」と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。
望遠鏡による天体観測、木星の衛星、地動説。近代科学の発展に大きな役割を果たした人物として、名前を知っている人も多いと思います。
そんなガリレオですが、現在の私たちからすると、少し意外な一面があります。
ガリレオは、ホロスコープを作っていました。
しかも、「占星術にも少し興味があったらしい」という程度の話ではありません。
ガリレオが作成した占星術関係の手稿は現在まで残っており、科学史の研究対象にもなっています。科学史家N. M. Swerdlowによる研究では、ガリレオが使用した天文暦や、ホロスコープを作成する際の天体位置の計算方法まで検討されています。
さらに、自分の娘の出生ホロスコープを作り、そこから性格について占星術的な解釈をした資料も残っています。
では、近代科学を代表する人物として知られるガリレオが、なぜホロスコープを作っていたのでしょうか。
そこには、現在とは少し違う「星を見る世界」がありました。

ガリレオって、どんな人?
ガリレオ・ガリレイは1564年、イタリアのピサに生まれました。
数学や物理学、天文学など幅広い分野で研究を行い、望遠鏡を使った天体観測でも大きな成果を残しています。
1609年以降には改良した望遠鏡を空へ向け、月の表面や木星のまわりを回る衛星などを観測しました。金星の満ち欠けなどの観測も、それまでの宇宙観を考え直す重要な材料になっていきます。
こうした功績から、ガリレオは現在、「近代科学の父」と呼ばれることがあります。
ところが、そのガリレオが生きた16世紀末から17世紀初頭には、天文学と占星術の関係は、現在私たちが考えるものとはかなり違っていました。
ガリレオは、本当にホロスコープを作っていた?
ここは伝説ではありません。
ガリレオの占星術関係の手稿は現存しており、その中には複数のホロスコープや占星術的な判断が残されています。
科学史家による研究では、ガリレオがどの天文暦を使って天体位置を求めたのかといった、具体的な計算過程まで検討されています。
つまりガリレオは、単に占星術について知識を持っていただけではなく、実際に天体の位置を計算し、ホロスコープを作成していた人物だったのです。
そして、その事実をより身近に感じさせる資料も残っています。
娘の出生ホロスコープも作っていた
1600年8月13日、ガリレオにはヴァージニアという娘が生まれました。
後に修道女となり、マリア・チェレステという名で知られる女性です。
このヴァージニアについて、ガリレオ自身の筆跡による出生ホロスコープが残っています。
しかも、そこに書かれているのは天体の位置だけではありません。
ガリレオは水星や金星などの配置をもとに、娘の性格について占星術的な解釈も記しています。Rice UniversityのGalileo Projectでは、ヴァージニアの洗礼記録とともに、このホロスコープとガリレオによる記述を確認することができます。
ここまでくると、ひとつの疑問が浮かんできます。
近代科学の発展に大きく貢献した人物が、なぜ人の出生時の星の配置を調べ、そこから性格を読み取ろうとしていたのでしょうか。
実は、占星術を仕事にもしていた
ガリレオと占星術の関係には、もうひとつ興味深い記録があります。
ガリレオ研究で知られる科学史家アントニオ・ファヴァロは、ガリレオが残した日々の収支記録を調査しています。
そこには1603年、複数の人物から受け取った金銭についての記録がありました。
ファヴァロは、この記録とガリレオ本人が作成したホロスコープを照合し、ガリレオがパドヴァ滞在中、報酬を受け取ってホロスコープを作成していたと結論づけています。
つまり占星術は、ガリレオにとって単なる個人的な好奇心だけではなかったようです。
そしてここから、「科学者なのに占星術?」という疑問の答えが少しずつ見えてきます。
なぜ科学者のガリレオが占星術を?
この疑問を考えるとき、少し注意しなければならないことがあります。
私たちは現在、「天文学」は科学、「占星術」は占いというように、二つを別の分野として考えています。
しかし、ガリレオが生きていた時代の知識を、そのまま現在の分類に当てはめることはできません。
天体がどこにあるのかを知ることと、その天体が地上の世界にどのような影響を及ぼすのかを考えることは、現在よりもずっと近い場所にありました。
ガリレオが1592年から教えていたパドヴァ大学を見ると、その様子がよくわかります。
天文学・占星術・医学がつながっていた時代
当時のパドヴァ大学は、ヨーロッパでも重要な医学教育の拠点でした。
そして医学を学ぶ学生にとっても、天体についての知識が必要だと考えられていました。
ガリレオの数学講義を受けていた学生には医学を学ぶ人たちがおり、彼らが医学の実践で占星術を利用するために、天文学の知識を学んでいたことが研究から確認されています。
病気の経過と月の満ち欠けを関連づける考えも古くからあり、中世にはそこへさらに占星術的な解釈が加えられていました。
現代の感覚から見ると、天文学、占星術、医学が同じ話の中に登場すること自体、不思議に感じるかもしれません。
しかし、当時はこれらの知識が現在とは違った形で結びついていました。
だからといって、「昔の大学ではみんな占星術を信じていた」というわけでもありません。
ここがさらに面白いところです。

当時から「占星術って本当に使えるの?」という議論があった
パドヴァ大学では、16世紀後半から17世紀前半にかけて、占星術の信頼性や、天体が人体や病気に及ぼすと考えられていた影響について議論が行われていました。
1570年代から1620年代にかけて、占星術的な説明に批判的な教授たちがいたことが確認されています。
彼らは、古代の医学・哲学の文献だけでなく、実際の病気の観察なども手がかりにしながら、天体が病気に影響するという考えを検討していました。
一方で、占星術がそのまま大学から消えていったわけでもありません。1620年代になると、占星術を医学に応用する考えを支持する教授も再び採用されています。
つまり当時のパドヴァ大学には、「星の影響をどう考えるのか」をめぐって複数の立場が存在していたのです。
「昔の人だから占星術を信じていた」という単純な話ではありません。
こうして見ていくと、「科学者なのに、なぜ占星術を?」という最初の疑問そのものが、少し違って見えてきます。
ガリレオは占星術を「信じていた」の?
では、ガリレオ本人は占星術を信じていたのでしょうか。
ここは、簡単に「はい」「いいえ」と答えないほうがよさそうです。
ガリレオがホロスコープを作成していたことは、現存する資料から確認できます。
娘ヴァージニアのホロスコープでは、天体配置から性格についての占星術的な解釈も行っています。
さらに、報酬を受け取って他者のホロスコープを作成していた記録も残っています。
一方で、これだけをもって、ガリレオが現代の私たちが考える意味で「占星術を信じていた」と単純に表現することもできません。
当時の占星術は、大学教育や天文学、医学、自然哲学などと複雑に関係していました。
ガリレオ自身の占星術との関わりも、その時代の知的環境の中で考える必要があります。
「信じていたのか、信じていなかったのか」という二択だけでは、かえって当時の姿を見えにくくしてしまうのかもしれません。
ホロスコープを作った人が、空の見方を変えていく
そしてガリレオは、望遠鏡を空へ向けます。
月の表面には凹凸があり、木星のまわりには衛星が回っている。
金星は満ち欠けをする。
こうした観測は、それまでの宇宙観を大きく揺さぶっていきました。
ここで興味深いのは、「ホロスコープを作っていたガリレオ」と、「望遠鏡で宇宙を観測したガリレオ」が、別々の人物ではないということです。
どちらも同じガリレオです。
私たちは後世から歴史を振り返るため、「科学者ガリレオ」と「占星術」をまったく別の世界に置いてしまいがちです。
けれどガリレオ本人が生きていた時代には、まだ現在と同じ境界線が引かれていたわけではありません。
地動説なのに、なぜホロスコープは地球が中心なの?
ここで、もうひとつ素朴な疑問が出てくるかもしれません。
ガリレオはコペルニクスの地動説を支持しました。
では、現在の西洋占星術で使われるホロスコープが地球を中心に描かれているのは、天動説の名残なのでしょうか。
これは別の話です。
ホロスコープは、「地球が宇宙の中心である」と主張するための図ではありません。
地球上のある地点から見たとき、太陽や月、惑星が空のどこに位置しているのかを表すため、観測者のいる地球を基準にして描かれています。
私たちは現在、地球が太陽のまわりを公転していることを知っています。
それでも「今日、東京から見ると太陽はどの方向にあるか」と表現できるのと同じように、観測地点を地球に置いて天体の位置を表すことはできます。
この話は少し長くなるので、また別のコラムで詳しく取り上げたいと思います。
ガリレオが占星術をしていたから、占星術は科学?
もちろん、そういうことではありません。
歴史上の著名な科学者が占星術を実践していたという事実は、現代の占星術の科学的な正しさを証明するものではありません。
でも、ガリレオと占星術の関係を調べていくと、別のおもしろさが見えてきます。
私たちが現在「科学」と「占い」として分けているものの境界は、歴史の中でずっと同じだったわけではないということです。
人は長いあいだ空を観察し、天体の動きを計算し、そこからさまざまな意味を読み取ろうとしてきました。
やがて天文学と占星術は、それぞれ異なる道を歩んでいくことになります。
その大きな変化が進んでいた時代を生きていた一人が、ガリレオ・ガリレイでした。
「科学者なのに、なぜ占星術を?」
そんな疑問からガリレオの時代をのぞいてみると、私たちが知っている「科学」と「占い」という二つの言葉も、少し違った角度から見えてくるのではないでしょうか。
参考文献・参考資料
N. M. Swerdlow, “Galileo's Horoscopes,” Journal for the History of Astronomy, Vol. 35, 2004.
Antonio Favaro, “Galileo, Astrologer,” translated by Julianne Evans, Culture and Cosmos, Vol. 7, No. 1, 2003(原論文 “Galileo Astrologo” は1881年).
Craig Martin, “Medicine and the heavens in Padua's Faculty of Arts, 1570–1630,” The British Journal for the History of Science, Cambridge University Press.
The Galileo Project, Rice University, “Maria Celeste's Birth Certificate and Horoscope.”

