ケプラーは占星術を信じていた? 惑星運動を解き明かした天文学者が、星に見ていたもの

「惑星は、太陽のまわりを楕円軌道で動いている」
現在ではよく知られているこの事実を、17世紀初頭、観測データと数学をもとに明らかにしていった人物がいます。
ドイツの天文学者・数学者、ヨハネス・ケプラーです。
ケプラーは、惑星がどのように動くのかを表した「ケプラーの法則」で知られ、近代天文学の発展に大きな役割を果たしました。
そんなケプラーにも、現在の私たちからすると意外に感じられる一面があります。
ケプラーは、占星術を行っていました。
自分自身や家族、知人などのホロスコープを扱い、天候や社会情勢などについて占星術的な予測も行っています。彼の占星術関係の著作や手稿は数多く残され、現在も研究されています。
ところが、ケプラーと占星術の関係は、ここからが面白いところです。
彼は占星術を実践しながら、当時行われていた占星術の多くを批判していました。
ではケプラーは、占星術の何を疑い、何を残そうとしたのでしょうか。

ケプラーって、どんな人?
ヨハネス・ケプラーは1571年、現在のドイツ南西部に生まれました。
神学を学ぶ道を歩みながら数学の才能を認められ、やがて数学者・天文学者として活動するようになります。
ケプラーはコペルニクスの太陽中心説を支持し、天文学者ティコ・ブラーエが残した精密な観測データをもとに、惑星の運動を研究しました。
その結果、1609年に出版した『新天文学』で、惑星の軌道が円ではなく楕円であることなど、後に「ケプラーの第一法則」「第二法則」と呼ばれる関係を示します。
さらに1619年の『世界の調和』では、惑星の公転周期と軌道の大きさの関係を示す第三法則を発表しました。
現在では、これらをまとめて「ケプラーの法則」と呼んでいます。
ところが、『世界の調和』という本をもう少し詳しく見ていくと、現代人には少し意外なものが登場します。
占星術です。
惑星運動を研究しながら、占星術も研究していた
ケプラーにとって、天文学と占星術は完全に切り離されたテーマではありませんでした。
彼は占星術について複数の著作を書いています。
1602年には『占星術のより確かな基礎について(De fundamentis astrologiae certioribus)』、1610年には『第三者の介入(Tertius Interveniens)』を発表しました。
そして、惑星運動の第三法則が登場する1619年の『世界の調和』でも、第4巻で占星術のアスペクトについて論じています。
つまり、
「惑星がどのような法則で動いているのか」
を考えていたケプラーと、
「惑星同士の配置にどのような意味があるのか」
を考えていたケプラーは、別々の人物ではありません。
同じ人が、同じ宇宙について考えていたのです。
ただし、ここで「ケプラーは昔ながらの占星術をそのまま信じていた」と考えると、彼の姿から離れてしまいます。
ケプラーは、占星術をかなり批判していた
ケプラーは、当時の占星術に含まれていた考え方を何でも受け入れていたわけではありません。
むしろ、伝統的な占星術の多くに強い批判を向けていました。
その一方で、占星術そのものをすべて捨てようとしたわけでもありません。
1610年に発表した『Tertius Interveniens』という題名は、「間に入る第三者」という意味を持っています。
占星術を全面的に否定する側にも、占星術として語られるものを何でも受け入れる側にも立たず、その間に立って議論しようとしたのです。
ケプラーが考えていたのは、
「占星術は正しいのか、間違っているのか」
という単純な二択ではありませんでした。
むしろ、
「占星術の中に、本当に残すことのできるものはあるのか」
という問いに近かったようです。
ケプラーが残そうとした「アスペクト」
そこでケプラーが特に重要だと考えたのが、「アスペクト」です。
アスペクトとは、太陽や月、惑星同士がつくる角度関係のことです。
現在の西洋占星術でも、0度のコンジャンクション、60度のセクスタイル、90度のスクエア、120度のトライン、180度のオポジションなどがよく使われています。
ケプラーは、こうした天体同士の角度に注目しました。
なぜなら彼にとって、宇宙の根底には数学的、そして幾何学的な秩序があると考えられていたからです。
ケプラーは従来の占星術を厳しく批判する一方、その中から惑星・太陽・月の間に形成されるアスペクトを残そうとしました。
さらにケプラーは、伝統的に使われていた角度だけをそのまま受け継いだわけではありません。
幾何学や調和についての考察から、従来とは異なる角度関係についても検討しました。
つまりケプラーは、占星術をただ受け継いでいたのではなく、自分の数学や宇宙観から、その仕組みを考え直そうとしていたのです。

星が人間を機械のように動かす、とは考えていなかった
ここも、ケプラーの占星術を理解するうえで重要なところです。
ケプラーは、天体が人間や地上の出来事を機械的に動かしている、と考えていたわけではありません。
彼の考えでは、天体同士がつくる幾何学的な関係に対して、地球や人間の側が反応します。
そこには、宇宙と人間には共通する幾何学的な秩序が存在するという、ケプラー独自の自然哲学や神学的な世界観がありました。
これは、現在の科学とは異なる考え方です。
しかし同時に、単純な「星が人間の運命を決める」という発想とも違います。
ケプラーは宇宙を、数学、幾何学、音楽的な調和、自然哲学、神学などが結びついたものとして理解しようとしていました。
占星術も、その大きな世界観の中に置かれていたのです。
自分や家族のホロスコープも研究していた
ケプラーの占星術との関わりは、理論だけではありません。
彼が収集・作成したホロスコープも数多く残されています。
研究されている資料には、ケプラー本人だけでなく、家族や親族などのホロスコープも数多く含まれています。
ケプラーは、自分自身のホロスコープについても繰り返し検討していました。
1602年には、天文学者David Fabriciusとの間で、自分自身の出生図や人生上の出来事を材料に、占星術について詳しいやり取りを行いました。
これは、ケプラーが占星術を単なる公的な仕事として扱っていただけではなかったことを示す重要な資料のひとつです。
「ケプラーは生活費を稼ぐためだけに、仕方なく占星術をしていた」
という説明を見かけることがありますが、現在残っている資料を見ると、それだけでは彼と占星術との関係を説明できません。
ケプラーは占星術の実践そのものに問題意識を持ち、その理論的な基礎を改善しようとしていました。
皇帝の宮廷でも、占星術に関わる仕事をしていた
ケプラーが扱ったのは、自分や家族のホロスコープだけではありません。
ケプラーは神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の宮廷で活動し、歴史上の人物のホロスコープを解説したり、政治や軍事について占星術的な予測を行ったりしていました。
さらに、三十年戦争で知られる軍人アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインについても、ケプラーは出生図を読み、占星術的な判断を行っています。
占星術は、個人の性格を見るだけではなく、政治や天候、社会の動きを考えるためにも利用されていた時代でした。
その世界の中で、ケプラーも実際に占星術に関わる仕事をしていたのです。
では、ケプラーは占星術を「信じていた」の?
ここまで見ると、
「結局、ケプラーは占星術を信じていたの?」
と聞きたくなるかもしれません。
ただ、ガリレオの場合と同じように、「信じていた」「信じていなかった」という現代的な二択だけでは捉えにくい人物です。
ケプラーは占星術を実践していました。
自分や家族のホロスコープを研究し、他者のホロスコープを読み、占星術について何度も文章を書いています。
その一方で、従来の占星術を厳しく批判しました。
彼がしようとしていたのは、すべてを受け入れることでも、すべてを捨てることでもありません。
占星術の中から、自分が自然哲学や数学の観点から説明できると考えた部分を取り出し、より確かな基礎の上に置き直そうとしていたのです。
そう考えると、
「ケプラーは占星術を信じていたのか?」
という問いよりも、
「ケプラーは占星術の何を残そうとしたのか?」
と尋ねたほうが、この人物には似合っているのかもしれません。
惑星運動の法則と占星術は、同じ宇宙観の中にあった
現在から見ると、
惑星運動の法則は「科学」。
ホロスコープは「占星術」。
二つはまったく違う分野に見えます。
しかしケプラー本人の思想の中では、数学、天文学、音楽、自然哲学、神学、そして占星術は、現在ほど明確に切り分けられていませんでした。
1619年の『世界の調和』が象徴的です。
この一冊の中でケプラーは、宇宙の数学的な調和を追究し、惑星運動の第三法則へとつながる関係を示す一方、占星術のアスペクトについても論じています。
もちろん、
「ケプラーが占星術をしていたから、占星術は科学的に正しい」
という話ではありません。
そうではなく、ケプラーという人物を通して見えてくるのは、現在私たちが別々のものとして考えている知識が、かつてはひとつの大きな「宇宙を理解する試み」の中に置かれていたということです。
惑星の軌道を計算する。
惑星同士の角度を調べる。
そこに存在する秩序を考える。
ケプラーにとって、それらはすべて同じ空を見ながら考えていた問題でした。
惑星運動を数学で解き明かした人物が、同時に占星術についても真剣に考えていた。
その事実を知ると、私たちが普段使っている「科学」「占星術」という境界線も、少し違った角度から見えてくるのではないでしょうか。
参考文献・参考資料
Johannes Kepler, De fundamentis astrologiae certioribus, 1602.
Johannes Kepler, Tertius Interveniens, 1610.
Johannes Kepler, Harmonices Mundi, 1619.
Friederike Boockmann, “Johannes Kepler's Horoscope Collection,” Culture and Cosmos, Vol. 14, 2010.
Dorian Gieseler Greenbaum, “Introduction,” Culture and Cosmos, Vol. 14, Special Double Issue: Kepler's Astrology.
Ken Negus, “Kepler's Tertius Interveniens,” Culture and Cosmos, Vol. 1, No. 1.
“Johannes Kepler,” Stanford Encyclopedia of Philosophy.

